グループ展「バリュープライス」
会期:2017/11/13 – 2017/11/18
会場:いりや画廊(東京)
企画:荒木美由
下記作品を1点出品した。
《タイトルは下記の通り構成されている。
1.バリュープライス展企画者 荒木美由と高田マルの会話
2.本作の価格決定の流れ
3.きれいごと、うつくしいこと

1.バリュープライス展企画者 荒木美由と高田マルの会話
荒木:お待たせしました!
高田:お疲れ様です!ご飯食べました?
荒木:食べてないです。本当に、待たせちゃったー。
高田:いや、全然。
荒木:食べましょう。食べながら。お腹すいたよー。ちょっと体が眠い。お肉食べればいいのかな。
高田:寝不足の時、たんぱく質とったほうがいいらしいですよ。
荒木:じゃあお肉食べようかな~。お肉とお米食べたら…。リブステーキ…でもどうしようパスタ好きなんだよな、でもパスタ食べたらぜったい寝るよな。
高田:リブステーキの価格帯の高さはなんなんですかね。他よりかなり高い。
荒木:ですよね、リブステーキ999円で食べられたらすごい安いはずなのに。
高田:他が安いから。
荒木:ハンバーグ食べたくなちゃう。私お昼、学食のロコモコ食べちゃって。
高田:ハンバーグに卵がのってるやつ。
荒木:チキン食べようかな。リブステーキはちょっと早いかな。でも本当に追い込みだから食べたほうがいい。このチーズ焼きにしようかな。ディアボラ風。これを食べたらきっといいんじゃない。
高田:いいんじゃないすか。
荒木:迷う~。いや、これにします。若鳥のグリル。と、小エビのサラダ。
高田:私は柔らかチキンのサラダと、ほうれん草のグラタン。
店員:申し訳ありません。本日、ほうれん草のグラタンが売り切れてしまいました。
高田:がーん、じゃあシーフードのグラタンで。
店員:シーフードのグラタンも売り切れておりまして…。
高田:なんですって。大人気。じゃあエビとイカのドリア
店員:以上でよろしいですか?
高田:あ、じゃあ、サラダをわかめサラダに変えていただけますか?
店員:はい。わかめサラダに。少々お待ちくださーい。
荒木:お水もらってこよ。
水をとりに席を立つ荒木
荒木:お待たせしました~
高田:荒木さん、個展をやると言っていたのは天王洲のですか?
荒木:そう。天王洲。わたしほんとぼけぼけで、お名前さえも書いていないんですけど、これDMです。
高田:ありがとうございます。かっこいい。
荒木:実はこれ、卒業制作のを今回だそうかなと思っていて、これまで見せる機会がなかったので。
高田:じゃあ在学時から石に穴あけるのやっているんですね。
荒木:もうそろそろあきたらいいんじゃないってみんなに言われるんだけど、まだ飽きなくて。
高田:いつから作っているんですか、このシリーズというか、穴をあけるという行為自体を。
荒木:穴をあけるのは、大学三年の後期くらいから本格的にあけ始めて、でもこのまえ久しぶりに大学に帰って、おきっぱなしの作品をみたら、つぼみの作品を作っていて。人間からつぼみを作り始めて、お花みたいな。そのつぼみにだんだん穴が開きはじめて、ついにはつぼみさえも作らずに、かたちは一切作らないでひたすら穴をあけるようになった。学部の卒業時点でもうそっちになってて、それからずっとなので。でもインスタレーションとかもやりつつ。
高田:つぼみも石で作ってたんですか?
荒木:石で。びっくりしちゃったこんなもんあったのね、くらいな。自分で信じられない。そっちのほうがいいだろうなとは思う。あ、これ今回初めて鏡を使った作品で(つくばアートセッションのパンフレット見せる)。穴はやりたいんだけど、穴じゃないこともやれないとな、いうとこでインスタレーションというか、野外展は遊び始めていて、ここ数年くらい。みんなここに石彫もってくるだろうと思っていたみたいです。作ったものを置くって。
高田:「崇高について」というタイトルはあれですね、結構…アカデミックを感じますね。
荒木:そう! でもこれはバカにしているところがあって。
高田:鏡もオールオーバーといえばオールオーバーだから(笑)
荒木:この「つくばアートセッション」は学部のときから先生がやっている展覧会で、すごいあこがれていた。いつか招聘されるんだって。いざ招聘されたら、もう学校をでて4年くらいたっているからいろんな世界を見ていて、でもまだまだ見たりなくて、崇高だと信じていたものが、それはすごくアカデミックなひとつの道なんだけど、自分が好きな路線じゃないということに気が付き始めたときで。わたしはたぶん人より10年くらい感覚が遅れている。いまちょうど反抗期の娘、みたいな気持ちでこの「崇高について」という作品は作った。すこし小馬鹿にしているというか。地域アートも最近見に行ったりするけれど…
店員:わかめサラダお待たせしました。
荒木:見に行くたびに考えこんじゃって。
高田:地域アートですか?
荒木:そう。刺激がたりないというか。こんなんだったら作らないほうがいいじゃんとか。でも自分も作らないのに言っちゃいけないなって思って、今回。あとこれは裏テーマで、こういうのはすごく受けがいいんだなっていう実感がある。こっちのほうが。
高田:石の作品よりですか?
荒木:ふだんの石の作品を知っているひとはディスるけど。すごく一般受けがいい。タイトルは受けが悪いけど。いただきます。
高田:どんな感じで反応がいいんですか?
荒木:「うつくしい」。確かに、自分ができる範囲でうつくしい配置にした。いい塩梅で鏡を置く場所を探して、そこを見つけて、もともと一個カーブミラーがあって。そのカーブミラーが気になっちゃって、その後ろに急な山があって。そこを切り開いてミラーを立てたらいいなってパッと思って。そのまま、感覚のままやってみようと思ったら、まあ、ふだんの石よりいじわるな気持ちでやったのに、裏テーマはね。
高田:そっか、見に来た一般の人というか関係者以外の人の受けはよかったけど、関係者は…
荒木:関係者の人たちは実はアカデミックな人たちだから、新しい物に感じる。でも地域アート見てたりインスタレーションをよく見ている人はなんて古典的なことこの子やっちゃたの。みたいな。古臭い。
高田:屋外でやることとして?
荒木:うん。
高田:さっきの作品写真には、実際にもともとあったカーブミラーが写っているんですか?
荒木:うん。
高田:気が付かなかった!
荒木:カーブミラーはいろんなツテがあって。で、実はそのポール全部ふつうの短管に色を塗ったやつなんです。
高田:へ~。
荒木:こういう正直わたしが舐めていたというか、いいなと思いながらやっていなかったことが、こんなにたいへんなのかと。7本しかミラー立てていないのにものすごいお金もかかるし。そういう知識と経験がなくて。それを期間内にやろうとすると、人海戦術プラスお金をださないとできないんだなって。
高田:設置期間て、ただ置くだけの人向けの時間しかとられていないですからね。その場で作る人にとっては厳しいですよね。
荒木:山だから、交通の便も悪くて。私はこれまで中之条ビエンナーレに対して批判的な気持ちでいたんだけど、批判的というのは、もったいないな、とか見たことあるな、とか。すかした目で見てたけど、いまは拍手をおくりたい。
高田:やったこと自体がすごいと(笑)
荒木:よくやったよ、作品になってんじゃんみんな。なにを上から目線で、という話だけど。すごかったいろいろ。いやもう、反省です。いろんなところでえらそうな口をたたくことにしていて。でもときどきやっている人たちが頑張っているということをたまに忘れる。
高田:批判するのは、いいと思う理由を説明するのより簡単ですからね。あ、で、バリュープライス展ですが、企画の経緯とか教えてください。
荒木:うん。いりや画廊の若手支援プロジェクトというのを私がまかされていて、今回で7回目なんです。毎回先に人を集めてからテーマを決めていて、これまでは。この人たちが組み合わさったら面白いかなと。そこに英単語でpoliteとか、delicateとか、Whyとか、あまり明るくない単語をつけてやっていて。前回は「To be or not to be」っていう展覧会タイトルでした。シェイクスピアの生誕記念のときだったこともあるし、わたし自身がずっと「To be or not to be」、「生きるべきか死ぬべきか」、「作るべきか作らぬべきか」と考えていて。で、人を集めたら、みんなそういうことで悩んでいて。居場所とか、自分が作っていくべきかとか、どうやって売るべきかとか、単純に。なんで自分の作品が評価されないのかって。でもそれって、他者にはよくわかる。ようは単純にクオリティが低いとか、性格とか。でも性格悪くても売れる人は売れるし。でも売りたくないっていう人もいて。売りたくないんです、といわれたときに、なんでやって。でもその売りたくないっていうのがみんな買いたいって言って。前回も岸井さんにトークをお願いしていて、「To be or not to be」は演劇にとってはすごく神聖な言葉だから荒木さんが使ったことは浅はかとしか思えないけれど、どういう思いがあって、って聞かれた。単純に私は居場所はどこか、とか「作るべきか作らぬべきか、それが問題だ」というところで使いたかった。ずっと自分のなかで好きな言葉だったから使ってみた。といったら「浅い」と。たしかに浅いんだけど、そういう単純なところでアーティストは悩んでいるから、次までに考えておきます、と答えました。そして、「死なない方法」生きるべきか死ぬべきか考えるのではなくて、いかに死なないか考えるということで、今回のバリュープライスに繋がった。どこに自分をもっていきたいかっていう。プライスって書いたけど、自分の価値基準とするものがなんなのか。それはお客さんかもしれないし、社会かもしれないし、お金かもしれないしお金じゃないかもしれなくて、そういうところを気になる人に声をかけてみて、のってくれる人と展覧会してみたいなと思って企画しました。
高田:その生きるか死ぬかというのは、本当に命たえるという死なんですか? あるいは、価格と結びついたということは、生活費をかせぐかどうかという死なんですか? あとは、社会的な死とかもありますけど。
荒木:うん、そういう意味もある。そこの捉え方を逆にみんなに問いたいというか。私は単純に自分の作品が売れないというのはなんとなくわかっていて、でも続けたいと思って、どんなにあこぎな方法でも生き残りたい。生き残りたいというのは、求められたいというのもどこか根本にはあるんだけど、じゃあコマーシャルに所属したいかというとそうでじゃない。そういう明確な…有名なギャラリーに認められたいとか所属したいという欲求は私にはないんです。ただ、もっといろいろ見たいという好奇心だけで続けられているタイプですね。でも最近すごく苦しいって思うことが増えて。
高田:なにが苦しいんですか。
荒木:なんだろう、ふってなんでこんなことやっているんだろうって。で、みんなも聞くから、なんでって。
高田:荒木さんのいまの生活は、作品収入というのは生活費になるほどではなくて、別にお仕事してて、ってことですか?
荒木:制作費はここ1年くらいやっとでるようになってきて、展覧会の売り上げから。やっと。でもとんとん。ヘタするとマイナスくらいだけど、制作費を支給される展覧会が続いていて、でもぜんぜん足りない。生活は絶対できないから、これが全くない人ももちろんいて、そのほうが多くて、でもやりくりするじゃないですか。なんでなんだろうって。単純にすごい才能だと思った人がつぎつぎやめていくのが悲しいというより悔しくて。なんでこんなに力のあるいい作家がやめるんだろうっていう怒りが私の継続になっているかもしれない。ジェラシーを感じる人に声をかけるというのが結構あって。
高田:それで今回のバリュープライスにむすびついたのは、作品が売れることで作家の生活がなりたつ、というかそういう価格で売られるべきだっていうことですか。
荒木:私の作家として、作品の売り上げで生活はできなくても制作はできるべきだっていう気持ちがあります。で、今回なんでこういう企画を画廊でやらせてもらうかっていうと、もっとやりやすい場所ってあると思っていて、でも画廊って作品を売って、それが仕事の場所だから。そこであえてやることが重要かなって。いますごいフリースペース多いから。
高田:なるほど、画廊というシステムの中で成り立たせることが重要だなと思ったと。
荒木:うん、日本の画廊がどんどん潰れていっていて、機能としてなりたっていないなって。だれも買わないし。売れている画廊もあるけど。
高田:そうか、荒木さんはいかに業界内の関わっている人たちが生活できるサイクルができるのか、というのを考えている、という感じですかね?
荒木:うん、そうですね。
高田:今回の企画は売り上げの2割が画廊に入る。荒木さんには入らない。
荒木:私は企画するということがひとつの経験値としてあると思っていて、画廊代がタダってことが本来はそこでいっぱい収支がとれればバックがもらえる。ようはみんな作品が売れて、その額が大きければもらえる。あれ、今回は4割ですよね。
高田:あ、そうでしたっけ。
荒木:通常、企画の時は5割なんですけど、ただ今回は皆さんに3千円いただくので、そのぶんでまかなうというかたちで。
高田:なるほど。わたしは荒木さんからこのプレスリリースをもらって、わかんないと思ったことがあって。まずこの、バリュープライスというタイトル。バリューとプライス、価値と価格を並列なものとして並べているのはなんでなんだろうなって思って。価格も価値の一つですよね。そこをまず整理したほうがいいのかなと。まず価格価値のほかに美的価値とか社会的価値があって。
荒木:私はバリューとプライスをイコールというかニアリーイコールとしています。感覚としては。あと、これは画廊でやるから、ということが大きいかなと思ってます。
高田:じゃあ、画廊における作品の価値は価格価値として表される。
荒木:うん。
高田:なるほどなるほど。
荒木:ただ、作家としては、プライスだけではないし。そこで考えたいのは、画廊に出すということはやっぱり売るということが前提であって、セールの部分で考えると価格が価値になってきてしまうと。でも、そうじゃないアーティストっていっぱいいて、で、かなり今回誘った人に多いんですよ、そういう人。でも、がんがん価格という人もいる。私は値付けのことを相談される機会が多くて、じゃあ4割とられるってことを前提で、6割手元にはいってきたらあなたはどうするか考えてください。って伝えたりとか。あとは初めて価格をつける子の場合、それが基準値になってしまう。たとえばこのスプーンを1万円ですとしたら、次のところでも1万円で売らないといけない、とか。なんとなく、スプーン2個だったらその2倍の値段、とか。じゃあそれが売れてしまったときに、違う人に5000円で売りますよとか、裏でやるならいいけど、本当は裏でもやってほしくない。その価格っていうのは、本当に1万円といえば1万円なんだけど、お得だなと感じる1万円と、高いなと感じる1万円がある。それはスプーンによってちがう。
高田:そのお得だなっていうのは…。今回のプレスリリースには、バリュープライス=お値打ち価格って書いてあって、それに私はちょっと違和感があって、私はどちらかというとお値打ち価格って適正価格より安いっていう印象なんですよね。でもたぶん、プレスリリースの文章を読むと適正価格についてやりたいんじゃないかなって思って。
荒木:それ正解です(笑) 正解ですっていうか、私の文章があれなんですけど、私は適正価格というつもりで書いているんですけど、お客さんはお値打ち価格で買いたい。
高田:あはは(笑) たぶんお客さんがお値打ち価格と感じる価格が、そのお客さんにとって適正価格だと思うんですよ。だからその適正価格ってなんなのか、ということがこの展覧会で問われるべきだと思います。それでいりや画廊学芸員の園浦さんがプレスリリースで書いているのは「基準となるのは”買い手と売り手(作家・画廊)”互いが納得する作品価値と価格です」と書かれている。ここではお客さんと作家、画廊、三者が納得する作品価値が価格になると。
荒木:ただ、作家が思う適正価格と画廊が思う適正価格って全然違っていて、相談されるけど、私は作家が決めたらそれでいいと思っています。私がいないあいだもずっといる学芸員の方からしたら、あれうん万低くすれば売れるのに、とか、なんであんな高くしちゃうの自信ありすぎじゃない? このクオリティだったらこの価格でしょ、とか、ふだんお金目線で売り物として見ている人からするとまたちがうんだなと思う。でもマルさんの言う通り、お値打ち価格という書き方は誤解が生じる。適正価格っていう言い方はしっくりくる。
高田:価格価値、ようは金額はどうやって決まるのかというと、私はお客さんと画廊とお客さんプラス批評家とかが入ってくるのかなと思っていて。
荒木:確かに。
高田:だから、価格価値と美的価値。美的価値、というか美術における価値っていうのは、作家はもちろん、批評家とかによって形成される。で、それは価格価値に影響もする。でも、荒木さんが言っていたとおり、それだけじゃないよね、というのはあると私は思う。それをなんていっていいかわからないけれど、いうなれば「質」? その質のよしあしがあって、作家自身はそれに価値を見出していないといけないと思う。価格価値に左右されないものとして質がある…これはけっこうロマンチックな話です。
荒木:すごくわかる。私もすごくロマンチスト。作る人はロマンチストで、人それぞれロマンがあって、リアリストだけどロマンチストだと思う。
高田:価格は色んな個人の集まり…流動的な、時代によっても変わるし、美的価値の基準も変わるけれど、変わらないものがあると提示する…ものじゃん? そもそも。と思っている。そこは揺らじゃいけないところなのかなと思います。
荒木:おっしゃる通り。そこが揺らぐとやめたくなる(笑)
高田:だから園浦さんも、お客さんと画廊と作家で決めていると書かれているけれど、実際たぶん決めるために話し合っているときに、世間からの評価とかも加味している。ほかの価値が入り込んできていると思うんですよね。
荒木:うん。美的価値にもいろいろあって、批評とかによるものと、ただただ美しい、質…どこに質をおくかにもよるけれど。バリュープライスがお値打ち価格というのが流通していて、それは日本の広告がそういうふうに銘打っているから、バリュープライスという文句が独り歩きしていているみたいです。
高田:ああ、広告でお買い得な価格の時にバリュープライスって。
荒木:で、お買い得!お値打ち価格!って。で、今回、バリュープライスを訳すときにすごく悩んだ。私はやっぱり両者がお得だなと思う状態がベストだなと思っていて、でも、やっぱり前回展覧会したときも値切る人は値切ってくるし。
高田:ほんとうですか。
荒木:値切ってくださってもかまいません、値切らないけど、みたいなスタンスと、この人なら値切られても持ってほしいとか、私はあります。前回はちょっと実験してみようと思って、すごく値段を安くしたら、なんかとたんに変えられない価値を感じてしまったりもしました。
高田:今回の件を聞いてちょっと思ったのは、価格とかも空間演出のひとつというか、照明の当たり具合で作品がちがってみえるように、価格も鑑賞者に影響を与えると思うんですよ、やっぱり。だからそういう影響をあたえるものの一部なんだと思います。
荒木:めちゃめちゃ低くしても売れないし。場所によってだけど。
高田:うん、だからめちゃめちゃ低いというのは価格価値を決めるときの判断をした人々がその作品の価値を認めていないということだから、見た人も根底で感じるわけですよね、価値がないんだって。ただそこで、買い手も価値を決める一因だから、この作品がこの値段なのは安い、と思って買う時点で、その作品の価格価値はきっと高まっている。
荒木:うん、確かに。
高田:荒木さんは普段、たとえばいりや画廊で作品展示するときには、どういうふうな流れで自分の作品の価格を決めているんですか?
荒木:う~ん、基準となっているのは一番最初に売れた作品の価格。単純に絵だと1号2号っていうのがあるじゃないですか、石にも1才2才っていうのがあって、30センチ×30センチ×30センチの立方体で1才なんです。それで単純に計算するようにしていて、30センチ×30センチ×30センチの作品がいくらだから、それを倍にして、とか。あとは石の値段。もとの素材。私の場合、労力に換算すると尋常じゃない価格になってしまうので、それで売れればいいんだけれど。う~ん、そもそも私に売るつもりがないのかもしれないと思いながら、ちょっと気持ち高くつける。
高田:私は大きさや材料費で価格を決めるのには反対で、それは、美的価値とも価格価値とも関係がないと思う。作家の生活事情としか関係がない。作家の生活事情は作品に関係ない。なので、はじめて号数で価格が決まると知ったとき、すごく衝撃的で、土地じゃないんだから、と。同じサイズの、同じ作家の作品であったとしても、これまでの継続で描かれた絵と、大きく作風を変えて描かれた絵とか、なにか発見があって描かれた絵は明らかに価値がちがうから、高く設定されるべきだと思う。だから、大きさで価格を決定するというのは…私は…
荒木:反対?
高田:ですね。
荒木:わたしもそれ派なんだけど、もうなんか、好きな相手だとあげちゃいたいなと思う。作ったものに対する執着が…いや、でも自分に執着を感じたことが、石のかけらをみがいて展示した直近の個展でありました。譲渡されるときに、買ってくれる人は自分がえらんだかけらがいかに魅力的かってプレゼンしてくれて、たぶんプレゼンだと思っていないんだけど、感想を伝えてくれて。制作中は作る行為ばかり集中しているから執着とかないんですけど、そのとき、惜しくなっちゃって。すごいいいんですよ~と言われたときに、「いい!」と。
高田:荒木さんは作っているときに、行為に集中しているんですか?
荒木:行為に集中してる。
高田:じゃあ、穴が空いた石ができることよりも、穴をあけるという行為のほうが重要なんですか?
荒木:うん、だから売り物じゃないんですよ、正直。なんで自分が大きさとかサイズで値段付けているかっていうと、あんまり興味がないから、それでぱってやっちゃうと楽だからやっちゃう。だからそのマルさんの反対ですっていうのは、すごくうれしい。その通りだなと思うと同時に、私はそれをやると心がまいってしまうというか、行為にお金をつけられなくて、自分の。
高田:そっか、じゃあこの作品は行為の残骸?
荒木:そう、残骸なんですよ、残骸だから彫刻展って銘打ったりすることが(こんどの展示のDMをみせつつ)いつも悩みどころ。
高田:じゃあ、荒木さん、彫刻家じゃないじゃないですか?(プレスリリースの「彫刻家」という肩書を指しつつ)
荒木:そうそうそう。でも、荒木美由だけだとだめだって言われていて、プロデュサーっていうのもいやで、最初は石彫家って書かれていて、石彫家じゃないって言ったら、あんたは説明する言葉が見当たらないのよって言われて。
高田:美術家なんじゃないですか?
荒木:そう、美術家でって。今回彫刻家ってなっているんですけど、なんで彫刻家なんだろうって、みんな私のこと彫刻家だって思ってるのかって。
高田:私はあまり思っていなくて、これを見たときに意外でした。その肩書を他者に決められるっていうのも面白い話ですよね。その人は売り手として彫刻家といったほうがいいんだ、彫刻家って言ったほうが荒木の価値がでる、って思っているわけですよね。
荒木:うん、思ってる。
高田:美術家っていうと、価値が下がるって思ってるわけですよね。
荒木:うん、美術家ってちょっと胡散臭いと思っている、たぶん。
高田:彫刻家のほうが実直な感じですよね(笑)
荒木:いりや画廊はやっぱり彫刻向きの画廊で、アカデミックよりなんです、とても。すごくアカデミックな画廊だから、若手だけはっちゃけてる。
高田:そうですね、私がDMとりにいったときも、ベテランという感じの方が在廊されていて。そうか、じゃあ若手支援プロジェクトが異色なんですね。
荒木:異色。オーナーの中村さんと学芸員の園浦さんがすごく楽しみにしてくれていて、若手が若手を呼ぶので、それが画廊にとってもいい刺激になる。だから6回もやらせてもらっているけれど、10くらいで終わりかなと思っている。私のなかでは。この企画でやっていることは、私の考えが如実に表れているというわけではなくって。今回も「to be or nt to be」のときみんながいろいろ言ってくれたことがきっかけになった。一部の人の作品がよく売れたり、冊子だけが売れる人がいたり、会期の1週間で起こって、なんでなんだろうって。次はそういうところに重点おいてみようといわれたこともあるし、私自身気になっていたことでもあるから、今回の展覧会になりました。で、タイトルはすごい悩んでバリュープライスにしたけど、お値打ち価格というまとめ方より適正価格だったな、と。
高田:適正価格って英訳だとなんなんですかね。
荒木:バリュープライスをお値打ち価格と訳すのも私は疑念があるので、これもニアリーイコール。
高田:私、好きな言葉があって、アスキングプライス。画廊と作家が相談して決めた価格のこと、つまり世にこの作品の価値はこれくらいですよと尋ねるという意味でアスキングプライスというものを決めている、ってとある画廊の人から聞いたことがあって。すごくいいなと思いました。尋ねる。我々としてはこれにこれくらいの価値があると思っていると価値を提示する、というのがすごく正しいなと思って。画廊と作家が一緒にやることとして正しいなと思って。
荒木:うん、正しい。それは作家支援の方法。誠実な対応ですね。
高田:そうだ、お願いしようと思っていたんですけど、私は今回の作品、いろんな方に値段をつけてもらって、その平均値を販売価格にしようかなと思っているんです。園浦さんと、企画者である荒木さんと、あとコレクターの方とか批評家の方に、作品を順々に郵送して、価格をつけてメールで返してもらおうかなと思っていて。
荒木:わかりました。それは、一週間のあいだにやるんじゃなくて、事前に?
高田:はい、価格はもう出しておいたほうがいいんですよね。
荒木:それは、マルさんがこれくらいかなっていう価格も入る?
高田:いや、入らないです。
荒木:自分は完全に除外して、他の人に判断させる。
高田:本当はその価格価値を決めるときに、というか美的価値を決めるときには作家が入るべきだと思うんですけど、価格価値を決めるときには必ずしも作家が入る必要はない、ということで今回自分はナシでやってみようかなと。
荒木:なるほど、たしかにそうだな。それはでも新しいアスキングプライスな気がする。
高田:荒木さんはいまの自分の作品の価格は適正価格だと思っているんですか?
荒木:自分では高いなってくらいの価格をつけている。大きい物に関して。でも自分の行為で換算するとスーパー赤字。自分の体がぼろぼろになるから。
高田:荒木さんとしては、いまの価格より高めの価格がついて生活が楽になるのが理想の状態ですか?
荒木:はい。…でも、どうなのかなって最近私はあやふやで。作品が売れて誰かの手元に置かれるのっていいなって、最近初めて思ったので、でもやっぱり嫌いな人に持っていてほしくないなとか。
高田:荒木さんにとって、できあがった作品ってどういう存在なんですか?
荒木:なんかね、話しかけちゃうような、やっと実存として、そこに感じるものになっちゃってて、明日もよろしくねって声をかけちゃう。友達ともまた違うんだけど。
高田:穴をあけるっていうのはどういう行為なんですか?
荒木:ここにものがあるっていうのを確かめている感じがあるんですよ、穴をあけているあいだは。穴があいていくと輪郭がなくなるし、ものとしてはなくなっていくんだけど、なくなってはじめてあるなって。でも自傷行為ってわけではなくて、わたし心はポップに穴をあけている。存在の証明って言い方をしていたけれど、それもすごいアカデミックな言い方で、呼吸するというか、石に呼吸をさせるというか。
高田:石に?
荒木:本当は穴をあける行為って、虫がごはんを食べる感覚。キツツキが木に穴をあけるように、生きるためにあける。
高田:それは荒木さんがキツツキ?
荒木:そう。キツツキの場合、食べるためにとか、用途がある行為なんだけど、私が穴をあけるときにはできるだけ意味のないフラットな穴でありたいと思っていて。でも、意味はなくても呼吸と同じで、やめたら苦しいというか。やめたら死んでしまうという勢いであけたいんですけど、でもあけたって知らないんですよ。それが分かっているんですけど、やめられない。生きている実感に繋がっている、穴をあけることが。でも、最近弱まっていて、石に穴をあける勢いか。いまきっと私、穴に対する感覚が変わりつつあるんだと思います。卒業制作のときはちょっと暴力的だったかな。いまはもっと心が穏やかなので、穴も穏やかなんですよね。空いていく穴が。
高田:さっき石に呼吸させている感じというのが気になっていて、石にとっては呼吸をしている感じに変わっていってるわけですよね。それも荒木さんの認識ですけど。どんどん話しかけたくなる感じになると。で、最初の石は話しかけたくなる感じではないわけですよね。
荒木:うん、どっちかっていうと寡黙なただの物質であって、不動のもの。私は昔から石に崇高さを感じていて、そんな大事な、というか荘厳なものに穴をあけているという、それで崇高に近づこうとしているのかというと、またちょっと話がずれてくるんだけど。
高田:荒木さんは穴をあける行為は崇高だと思っているんですか?
荒木:いや、むしろすごいバカなことだと。でも人間ってそういうことかなっていう。
高田:そうですよね、だからイコール生きるってことなんですよね。
荒木:うん、だからいろんな人に「なにやってるの?」っていわれるんだけど、私もそう思うよって。
高田:崇高なものを壊して、呼吸するもの、つまり生命体っぽいものに変えるということ自体が、荒木さんにとっては生きるということ、つまり影響をあたえること。だから生きている状態に石をするっていうのは、それはまあ、荒木さんが思っているだけというか、石としては壊されているだけ。
荒木:そうなんですよ(笑)。だからそれってほんとバカみたいな行為なんだけど、人間はそれを繰り返して生きていくのだという。だから私なんですよ。具象よりもとっても具象くらいの勢いで、私の穴は私自身というか。
高田:うん、私はずっと荒木さんの穴をあけるっていう行為とか、気になっていたんですけど、それが今日クリアになった気がします。穴をあけるっていう行為自体を重んじているところとか、壊すことで生んでいっている意識とか。私は、絵はもともとあるものを壊して情報を上書きしていくことで成り立つものだと思っているので、そういうところで通じるものがあるのかなと思いました。
荒木:私はマルさんの作品は絵画検討会とカタコンベしか見たことがないんですけど、勝手に空気を描くのがうまい人というか、空気を描くっていうとあれですけど、この人は平面じゃないんだなっていう。
高田:絵画の終着点としてはひとつ平面があるわけですけど、もうちょっとおもしろいんじゃないかなと思っていて。絵が成り立つときに何が起こっているのか、とか。あ、そういえば、プレスリリースで「若い作家たちの交流の場にしたい」って書いてましたけど…
荒木:うん、交流。20代、30代あたりの人たちはコミュニケーションをとったほうがいいと思っていて、基本的には孤高であることはむずかしくて、制作をしているときは孤高であるべきと私は思うんだけど、それ以外のところで社会性を身に着ける場として展覧会をやってもいいのかなって。いろんな人と話すことでそのなかから出てきて知ることって大事で、だから私もお値打ち価格っていう言い方はすごい悩んだけど、マルさんと話すことで適正価格いいなっていう気持ちになって、その言葉の方がずっとシンプルで強いしいいなって。
高田:荒木さんは結構美術業界のことを考えているというか、姉御肌(笑)
荒木:いや、考えてるというよりは作っているときがあまりに孤独だから。もちろん、作品が重いから一人では作れないんだけど、機械を使わないといけないし。彫刻って一人で作っているようで全然一人じゃないって身に染みて感じていて、で、年齢が上がれば上がるほど孤独になるってことも身に染みて感じている。みんなやめていくから。だからいっしょにサバイブしようよって。だから「交流」とは書いたんですけど、なれ合う必要はなくって、次にそことここが一緒に展示します、とか、こういう話があるからあの人いいんじゃないかとか、ビジネスでつながればいいし、もしかしたら一生のともだちになってしまうかもしれないし。そうだこの技術、あの人に聞いてみよう、とか。ほんとうにこの若手支援プロジェクトはじめてから重い物の運び方をすごい聞かれるようになって(笑) 搬入について相談させてくださいって。そういうのむしろやってあげたいと思うし、逆に私が困ったときに助けてねって。なんか、そういう意味での交流を。そういう余裕も自分にはないんだけど。
高田:でも、自分が必要と思うからやるわけですよね。
荒木:そう、だからすごい自分勝手企画(笑)
高田:いや、いいと思いますよ。自分勝手なことをみんなが楽しめれば。

2.本作の価格決定の流れ
荒木美由(本展企画者)、飯島モトハル(コレクター)、園浦眞佐子(いりや画廊学芸員)、千葉成夫(美術評論家)、みそにこみおでん(コレクター)と高田マルの下記やり取りをへて、本作の価格は決定した。

■バリュープライス展企画者・荒木美由と高田マルのやりとり
2017年10月31日 (火)18時14分 高田マル→荒木美由
荒木さん、お疲れさまです! バリュープライスの作品価格設定ご協力の件です。 荒木さんは、下記どちらのほうが都合がいいでしょうか?
1. 11/9(木)、10(金)あたりに作品を郵送で受け取り&発送する。メールで価格と価格決定理由コメントを11/11(土)までに高田に送る。
2. 11/12(日)の搬入時に作品を見て、価格と価格決定理由コメントをその場で高田に伝える。 1の場合、住所を教えてください。

2017年10月31日(火) 18時22分 荒木美由→高田マル
12日にしましょうか!

2017年10月31日(火) 18時34分 高田マル→荒木美由
了解です!

2017年11月12日(日)11時59分 荒木美由→高田マル
高田マル 作品価格 15,000円

私個人は本体である作品ではなく、マルさんの行為・思考(タイトルに集約されている)に価値があると思う。この価格は労力を考えると安いと思う。ただ通貨にするとこれくらいだと思う。通貨にすることが難しい。
少し高い画集を買うぐらい、アルバイトを1日がんばったら買えるくらい。
そんな価格で、一連の行為が買えたら幸せだなと思い値段を設定させてもらった。

■コレクター・飯島モトハルと高田マルのやりとり
2017年10月26日(木) 17:05 高田マル→飯島モトハル
飯島さま こんにちは、高田マルです。
ちょっとご協力をお願いしたい件があり、連絡いたしました。
11月にいりや画廊で行われる荒木美由さん企画の「バリュープライス」という、作品の適正価格がテーマのグループ展に参加するのですが、 そこに出品する高田の作品一点の価格決定にコレクターとしてご協力いただくことはできないでしょうか?
モトハさんのほか、企画者の荒木さん、画廊の方、批評家の方、もう一人コレクターの方にもそれぞれ作品をみて価格をつけていただき、 その平均価格を販売価格にしたいと考えております。

方法としては、
(1)モトハさんのお手元に作品(小品です)を配送し、
(2)メールにて高田に価格をお知らせいただき、
(3)次の方に発送していただく という予定です。(発送用のレターパックを同封しておきます)

11/1頃に高田から一人目に発送、11/11までにいりや画廊着を目指しています。(搬入日が11/12のため) 全員から高田に作品を戻していただいていると時間が間に合わなさそうなので 協力者の方から次の協力者の方に発送していただくかたちになります。すみません。
いかがでしょうか?急なご依頼で恐縮ですが、ご検討いただけたら幸いです。
何卒よろしくお願いいたします!

2017年10月26日(木) 20:12 飯島モトハル→高田マル
いいですよ?。私が協力できることであれば大丈夫です。ただ、平日は朝から晩まで仕事で不在なので土日の午前中か不在でもコンビニなどで受け取れるようにしていただければ幸いです。 あとは値段を伝える手段ですかね。封筒に金額を書いた紙を入れておけばいいですかな。

2017年10月26日(木) 21:58 高田マル→飯島モトハル
ありがとうございます!!嬉しいです。では、ご住所を教えていただけないでしょうか? 作品は小品なのでレターパック(ポスト投函)にてお送りする予定です。変更の可能性もありますが、いずれにせよ土日の午前中かコンビニ受け取りが可能な方法でお送りいたします。値段をお伝えいただく手段ですが、メールを予定しています。高田のメールアドレスはmail@takadamaru.comです。 その際、できればなのですが一言、その価格にした理由(プラスに働いたことでも、マイナスに働いたことでも)を書いていただけると幸いです!モトハさんの手元に届く日にちなど見えましたらまた改めてご連絡します。どうぞよろしくお願いいたします!

2017年10月26日(木) 22:00 飯島モトハル→高田マル
了解です!住所は下記の通りです。
飯島モトハル
東京都●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
です。
よろしくどうぞ!

2017年10月27日(金) 9:06 高田マル→飯島モトハル
ありがとうございます!!

2017年11月3日(金) 21:58 飯島モトハル→高田マル
高田マル様
お世話になっております。飯島です。
今回は面白いお話をいただきありがとうございます。出来る限り納得のできるプライシングができれば幸いです。
では、私が考える高田マルさんの今回の作品の適正価格は
2兆4000億円
嘘です。
これだと平均価格がめちゃくちゃなことになって面白いかと思っただけです。
24000円
でいかがでしょうか。
高田マルさんのプロフィールや今までの展示歴を知らなかったためインターネットで調べたのですが、確認できたのは1987年生まれで展示経験は2016年の絵画検討会と2015年の個展「船と人」でした。特にギャラリーに所属しているようには見受けられませんでした。
上記の情報から判断するにギャラリーにもよりますがマルさんのキャリアからですとペインティングの場合号数×8千円~1万2千円でしょうか。サイズ的には0号相当に匹敵するとは思いますが支持体がキャンバスではなく本と特殊なこともあり立体としての側面も備えていることから2号相当で計算しました。
あまりマルさんの作品をたくさん拝見したわけではありませんが、個人的には今回拝見した作品はかなり良い、傑作ではないかと思います。
作品が入っていた箱もいいですね。あけた瞬間の驚き。あれは中々得難い経験でした。
目がレシートに行き、その数字の意味を考えつつ視点を俯瞰に移して全体を把握する。細部と全体が交互に鑑賞者に迫ってきて複雑な鑑賞体験を提供してくれました。
更に距離を取ることで「絵画」としての強さを見せてくれますしまた近づくと今度は「本」としてのマテリアルの面白さが迫ってくる。本当に鑑賞するのが楽しい作品です。広い空間に単体で置いてあっても十分に場持ちするでしょう。
次の値付け担当者の下に送るのが惜しい逸品です。
きっとそちらでも高い評価を得る事でしょう。
なんだかサイレントオークションをしているような気分になりますね。一番高い値付けをした人がきっと持ち主にふさわしいでしょう。
それでは私は作品を次の方にお送りいたします。
引き続きよろしくどうぞ。

飯島

2017年11月04日(土) 16時44分 高田マル→飯島モトハル
飯島モトハル様
お世話になっております。高田マルです。
メールありがとうございます!
適正価格のご提示、またその理由、丁寧にお返事くださってありがとうございました。
作品への評価、とても嬉しいです。
次の方に発送してくださったとのこと、了解です。お手数おかけいたしました。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!

高田マル

■いりや画廊学芸員・園浦眞佐子と高田マルのやりとり

2017年10月26日17時8分 高田マル→園浦眞佐子
園浦様
こんにちは、11月の荒木さん企画「バリュープライス」に参加する高田マルです。承認ありがとうございます。出品作品制作にあたって、ご協力をお願いしたい件があり連絡いたしました。
同展に出品する高田の作品一点の価格決定に画廊学芸員としてご協力いただくことはできないでしょうか?
園浦様のほか、企画者の荒木さん、批評家の方、コレクターの方にもそれぞれ作品をみて価格をつけていただき、 その平均価格を販売価格にしたいと考えております。 方法としては、 (1)いりや画廊様宛に作品(小品です)を配送し、
(2)メールにて高田に価格をお知らせいただく という予定です。
11/1頃に高田から一人目に発送、11/11までにいりや画廊様着を目指しています。 いかがでしょうか?
ご検討いただけたら幸いです。何卒よろしくお願いいたします。

高田

2017年10月26日 17時8分 園浦眞佐子→高田マル
荒木さんからきいております。わたしは大丈夫ですが、最終的には荒木さんの承諾をとっていただければ、私は大丈夫

2017年10月26日 18:22 高田マル→園浦眞佐子
ありがとうございます! 荒木さんにはご了承いただいております。
それでは、11月にいりや画廊様に作品送らせていただきます。 どうぞよろしくお願いいたします。

2017年11月9日(木) 16時31分 園浦眞佐子→高田マル

高田様
お世話になっております。
作品を拝見させていただきました。
私個人の意見ですが。
3800円
理由はじっと見ていたらその金額が
頭に浮かんでしまったので。
どうぞよろしくお願いいたします。
園浦

2017年11月9日(木) 17時24分 高田マル→園浦眞佐子
園浦様
お世話になっております。高田マルです。
メールありがとうございます。
価格と理由、了解いたしました。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!
高田

※補足:後日電話にて確認したところ、園浦さんは普段、いりや画廊で展示する作家から価格について相談されれば応える、というスタンスで接しており、価格決定は作家にまかせているとのこと。(高田)

■美術評論家・千葉成夫と高田マルのやりとり
2017年10月26日(木) 18時54分 高田マル→千葉成夫
千葉成夫さま
こんにちは、高田マルです。
ご協力をお願いしたい件があり、メールいたしました。
11月に、上野にあるいりや画廊で行われる「バリュープライス」という、作品の適正価格がテーマのグループ展に参加するのですが、そこに出品する高田の作品一点の価格決定に批評家としてご協力いただくことはできないでしょうか?
企画者のアーティスト、画廊の方、コレクターの方にもそれぞれ作品をみて価格をつけていただき、その平均価格を販売価格にしたいと考えております。

方法としては、
(1)千葉様のお手元に作品(小品です)を配送し、
(2)メールにて高田に価格をお知らせいただき、
(3)作品をご返送いただく。
という予定です。(返送用のレターパックを同封しておきます)
11/1頃に高田から一人目に発送、11/11までにご協力者全員を回ることを目指しています。(搬入日が11/12のため)
千葉様にご依頼するにはあまりに小さな企画であることは重々承知しているのですが、
もしお時間ありましたらお付き合いいただくことできないでしょうか。
大変急なご依頼で恐縮です。ご検討いただけたら幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。
高田

2017年10月26日(木) 19時27分 千葉成夫→高田マル
高田さん、
 ご協力するにやぶさかではないのですが、まことに正直なところ、僕は美術市場の事柄については良く知らないのです。作品の価格についてもきわめて無知ですが、それでもよろしければ、ご協力します!
千葉

2017年10月26日(木) 19時45分 高田マル→千葉成夫
千葉成夫さま
ありがとうございます!とても嬉しいです。
それでは、後日、作品をお届けいたします。小品ですので、郵政のレターパック(ポスト投函)でお届けする予定です。到着日時が決まりましたら、またご連絡いたします。
これはもしできればなのですが、作品をご覧になり、価格をメールにてお知らせいただく際に一言、その価格にした理由(プラスに働いたことでもマイナスに働いたことでも)を書いていただけると幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

高田

2017年11月07日(火) 11時07分 千葉成夫→高田マル
高田マルさん、
コメント、送ります。
千葉

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 僕は美術作品の売買に関わったこともなく、価格にも無知な美術評論家なので、正直なところ価格については解りません。恥ずかしながら想像することもできないのが実情です。困ったなあ! なので、まったくの当てずっぽうの価格(参考にならない?)と、擬・象徴的な価格(遊び、ないし批評的提言?)と二通りを記しておくことにします。
 前者は日本円で50,000円+200円+260円=50,460円です。この価格設定に理由はなく、まさに当てずっぽうです。
 後者は「200+260=460コンカエ」です。コンカエ(conchae)とはラテン語で貝類のことで、僕がこの「バリュープライス展」のために勝手に、空想で、仮作(仮造)した、存在しない通貨名です。この価格設定は、この作品の「支持体」になっている古本の元来の定価が260円、古本代と思われる価格が220円なので、その数字の合計です。ちなみに、これは空想なので、いわゆる「ビットコイン」よりも無限に無害、あるいは無意味です。
 「バリュープライス展」のための高田マルさんの作品は数名の人の提示価格の平均値で決まるとのことですから、現実的には、空想の「コンカエ」は円換算では「ゼロ円」とするしかありません。つまり無視していいことになります(影の聲「でも、本当は無視していいのかなあ」、なんて!)。
 批評的には、決定価格に若干の「加増」が、ありやなしや!
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2017年11月07日(火) 23時13分50秒 高田マル→千葉成夫
千葉成夫さま
コメントありがとうございます!
拝読いたします。
取り急ぎ、拝受のご連絡までに。
また改めてご連絡いたします。

高田

■コレクター・みそにこみおでんと高田マルのやりとり
2017年10月26日 (木)16時57分 高田マル→みそにこみおでん
みそに様
こんにちは、高田マルです。
ちょっとご協力をお願いしたい件があり、連絡いたしました。
11月にいりや画廊で行われる荒木美由さん企画の「バリュープライス」という、作品の適正価格がテーマのグループ展に参加するのですが、そこに出品する高田の作品一点の価格決定にコレクターとしてご協力いただくことはできないでしょうか?
みそにさんのほか、企画者の荒木さん、画廊の方、批評家の方、もう一人コレクターの方にもそれぞれ作品をみて価格をつけていただき、
その平均価格を販売価格にしたいと考えております。
方法としては、
(1)みそにさんのお手元に作品(小品です)を配送し、
(2)メールにて高田に価格をお知らせいただき、
(3)次の方に発送していただく
という予定です。(発送用のレターパックを同封しておきます)

11/1頃に高田から一人目に発送、11/11までにいりや画廊着を目指しています。(搬入日が11/12のため)
全員から高田に作品を戻していただいていると時間が間に合わなさそうなので
協力者の方から次の協力者の方に発送していただくかたちになります。すみません。
いかがでしょうか?

急なご依頼で恐縮ですが、ご検討いただけたら幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。

高田

2017年10月27日(金) 00時47分 みそにこみおでん→高田マル
非公開

2017年10月27日(金)3時15分 高田マル→みそにこみおでん
みそに様
返信ありがとうございます!
送ることが作品形成の一環ではないので、みそにさんが画像でもいいということであれば画像でお送りすることもできます。
コレクターと作家が平等であるというのは私も同意です。 今回の件でも権力関係は発生しないと私は考えているのですが、ちょっと説明不足でした。すみません。長くなりますが補足説明します。
今回のグループ展のタイトルは「バリュープライス」です。 企画者の荒木さん意図は「作品の価値value、価格priceとはなにかを再確認する」です。 私は出品作で、作品を取り巻くものとしての販売価格、つまり1つの作品の市場価値がどのように決定されるのかを略図的に見てみたいと考えています。
市場価値はその作品や作家活動の美的価値への評価や、時代状況、画廊や買い手による判断、思惑など、多数の個人の相互作用により決まるものだと思います。(直接価格決定にかかわらずとも、影響している)
なので、少々乱暴ではありますが、今回は画廊の方1人、批評家1人、企画者1人、コレクター2人の思う その作品の適正価格をそれぞれの立場から出してもらい、その平均価格を販売価格(市場価格)とすることで「多数の個人」の縮図を作ってみたいのです。(価格の提示というかたちで批評家の方に入ってもらうのも、なかなか乱暴ではあるのですが)
みそにさんは普段、作品を購入することでその作品の価格設定に同意しているわけで、市場価値形成にコレクターとして参加しているのだと思います。なので、私のみそにさんへの要望は、「この価格だったら自分は買う」という、コレクター・みそに的にちょうどいいと感じる価格を教えてほしい、ということです。
今回の作品は上記のように形成され、下記のようにキャプションをつける予定なので、コレクターとして組み込まれる、というかたちになるでしょうか。購入はしないわけですが。

【作家名】高田マル
【作品タイトル】まだできていませんが、荒木さんと高田の対話文字起こしと、販売価格決定協力者の方々の名前&肩書、それぞれが提示した価格、あればその価格にした理由一言などをまとめた長文がそのままタイトルになります。
【素材】作品(高田マル作《上書き保存》)
前回書き忘れましたが、私も価格決定に参加します。 皆さんに価格を聞いた後だとよくないので、先に自分の思う価格を決めてから協力者の皆さんに発送します。その意味で、価格決定に関してみそにさんと作家(私)の関係は対等(?)。
また、画廊の壁にかけるのは私の描いた絵だけです。皆さんの提示した価格やコメントはタイトルとして会場に置かれる作品表に載るかたちになります。それらを見栄え良く資料的に展示することもできると思いますが なにぶん私は作品自体の質的価値を信じているので、市場価値に関するやりとりは展示しない、しかし美術の場である画廊という同一空間にある、という状態にしたい。というわけです。
…。説明、以上で足りているでしょうか?
みそにさん的メリットは、この件に関わるのを面白いと感じるかどうかだけだと思うので、どうなのでしょう。 以上の説明で納得してご協力いただけそうでしょうか?(最悪、お名前はふせてもOKです)
なにか不足、疑問、つっこみありましたらおっしゃってください。
どうぞよろしくお願いいたします。

高田

2017年10月27日(金)13時39分 みそにこみおでん→高田マル
非公開

2017年10月29日 (日)16時40分 みそにこみおでん→高田マル
非公開

2017年10月31日(火)22時24分 高田マル→みそにこみおでん
みそにさま
こんにちは、高田マルです。お待たせいたしました。
価格設定にご協力いただきたい作品の画像を添付にてお送りいたします。
また、動画も撮影し下記に限定公開したのでよかったらご覧になってください。
https://youtu.be/IGBPvQgTtTA

作品情報
【作者】高田マル
【タイトル】上書き保存
【素材】紙、紐、アクリル絵具
【サイズ】縦117mm×横185mm×幅25mm
【制作年】2017年

11/11(土)夕方までに、価格とその価格にした理由をmail@takadamaru .com にお送りください。前回お伝えした通り、もろもろタイトルになります。できれば、下記をいれさせていただきたいと考えているのですが、いかがでしょうか?
・みそにさんの名前、肩書(コレクター、みそにこみおでん)
・みそにさんが提示した価格
・その価格にした理由
・高田とのメールのやりとり内容
メールのやりとり内容はNGでしょうか?部分的に伏字にするのもアリです。
検討の程、どうぞよろしくお願いいたします。

高田

2017年10月31日(火)23時08分 みそにこみおでん→高田マル
非公開

2017年11月01日(水) 21時56分 高田マル→みそにこみおでん
上記非公開メールの内容がだいたいわかるので、非公開

2017年11月11日(土) 3時12分 みそにこみおでん→高田マル
高田マルさま
みそにです。
お世話になります。
以下のように返信しますのでご査収よろしくお願いいたします。

=====

高田マルさんより出展作品を直接送ってもらいそれを見て価格をつけ、その価格を連絡し受け取った品を他の方へ転送するよう依頼を受けました。
諸事情で直接作品を受け取れず画像だけ送ってもらい価格を決めることになりましたが、私はコレクターとして美術価値形成へ関与する行為をいくつかしているものの価格決定へ参加する理由が見当たらずまたそれはプロが行いその責任を持つべきであると考えていることから、私も他者へ価格決定を依頼することにしました。
高田マルさんからの依頼メールでは企画者・いりや画廊学芸員・批評家・コレクター・(作家も?)が価格を提案しその平均値を決めるという民主主義的な市場としてのプランが提案されていますが、現代美術におけるプライマリープライスはプロの画廊が介在し値決めを行い責任を持ち取引を行うものです。
更にその価格が裏打ちされるにはセカンダリーで取引される必要がありそれはオークションで価格が明解にされそこで取引されることだと私は考えます。
今回、平均値をとる対象にプロ画廊とセカンダリーを担うオークションが入っていないことからそれぞれに価格を確認したうえで提案しようとしたところ時間がなくプロの画廊から確認がとれませんでしたので、先に返信をいただいたオークション会社からのセカンダリープライスを取り急ぎ提案することにします。
セカンダリープライスを確認するために現代美術を取り扱う大手オークション会社であるSBIアートオークション、シンワアートオークション、マレットジャパンの三社へ作品画像・概要及び作者プロフィールを添えて相場価格を確認を依頼しました。ヤフーオークションは私自身が価格を設定する必要があり除きました。
三社から受けた返答はほぼ同じでしたので私の方で以下のようにまとめ最後に価格を述べます。次の通りです。
依頼を受けた美術作品が美術として優れており「美術価値」はあるとは思いますが、オークションで取引される作品は「換金価値」があるものであり、過去の取引データベースを確認しても作品・作者ともに実績がなく、また現代美術スタッフへ確認しても知るものがいないため価格をつけることはできません。またプロの画廊でこの価格が妥当と考え設定しプロ同士で取引が成立することはあるとは思いますがそのような情報もありません。そのため美術価値もあり将来的に価値がつくかもしれませんが現状では取引は難しいと思います。
以上から本作品は換金性が無くセカンダリーで取引できないことからセカンダリープライスは「0円」と設定して私から提案します。

2017年11月11日(土) 14時17分 高田マル→みそにこみおでん
みそに様
返信ありがとうございます!
オークション会社に問い合わせているとお聞きした時に、たぶん0円だろうなと思っていました。
(現状私の作品はセカンダリー・マーケットにはなく、ないということは需要が無い=価値がない=0円、ということなので)
以前、メールにも書いた通り、私としてはコレクターの「この価格なら買う、買わない」という判断が間接的にプライマリー・プライスに影響していると考え、今回のご依頼をしたのですが、みそにさんとしては(当然の一般論としては?)、「現代美術におけるプライマリープライスはプロの画廊が介在し値決めを行い責任を持ち取引を行うものです」ということで、プロの画廊が決定した価格、価値を信頼しており、ご自身は介入しない、していない、という認識だということで了解いたしました。
ちなみに、平均値をとるというのは、形式的には確かに民主主義的なのですが、相互作用の簡略化を目的としていました(平均をとるということが、そもそもそういうことですが)。
那覇へ行ったりお忙しいところ、ご協力いただきありがとうございました。
タイトルに掲載する文につきましては、本日、また改めてメールいたします。
内容を書き換えるということは基本的に行わず、メール履歴かほぼそのままになる予定です。
削除希望部分など、そのときにお知らせいただければと思います。
ではでは、沖縄、少しでも楽しんでください!
高田
-----------------------------
以上のやりとりにより、5名の協力者からは下記の金額が提示された。
荒木美由(本展企画者)…………………15000円
飯島モトハル(コレクター)……………24000円
園浦眞佐子(いりや画廊学芸員)………3800円
千葉成夫(美術評論家)…………………50460円
みそにこみおでん(コレクター)………0円
この時点での平均価格は18652円。それぞれが提示した価格と、その決定理由はすべてそれぞれに「正論」だ。ここで、私は協力者の方々に心から感謝をしつつ、裏切りたいと思う。私は価格操作を行う。
私はこの作品には51000円としてこの場に置かれる価値があると主張する「愚行」を行いたい。ということで、私は価格決定に参画するものの一人として212740円を提示し、価格を操作する。
私を含む6名の提示した金額の平均価格、つまり販売価格は下記の通りとなる。
(15000円+24000円+3800円+50460円+0円+212740円)÷6=51000円

3.きれいごと、うつくしいこと
さて、さまざまな方にご協力いただき、私自身いろいろと言ったり書いたりしたけれど、本当はこんなことどうでもよく、作品はそこにある。私がすることといえば、絵を描くこととわずかな語り、そして作品を観者の前に置くことだ。その作品を置く場にはさまざまな事柄が渦巻いており、なんだかうるさい。しかしそれがこの作品を置いている世の中なので、作品を置く者としては当然無関心でもいられない。
作品が世の中のなかに点としてあるのではなく、世の中よりもっと広い世界を表すものだと知っていれば、市場価値にさらされるのは些末な出来事のはずだ。どんなに腹立たしく、悔しくても、冷静に見せ、冷静に語るのをやめるわけもない。
と、まあ私は考えるのだが、今回のバリュープライス展は、日々スーパーマーケットで食材を買い自炊をしたり、仲間と飲み屋へ行って酩酊したり、世界堂で画材を買ったり、生活費を得る労働先で愛想笑いしたり、ひとりで手や頭を動かしたり、画廊やコレクターにこんにちはと言う生き物がどうやって生きていくのかというレイヤーの話のようだったので、こういう考えはいったん脇に置いて関係者に価格を聞いて回った。
価格決定の過程に批評を加えることはできなかったが、本来、美術価値は市場価値に影響する要因のひとつのはずなので、市場価値が低いということは美術価値が低いという評価にもつながる。しかし、「つながる」だけでイコールではない。イコールではないから、人をモヤモヤさせる。プライマリー・プライスもセカンダリー・プライスも、画廊の方やオークション会社などが独自に判断し、あるいは何号ならいくらと土地でも売るように計算し、あるいは今回価格決定に協力した登場人物たちのような立場の人々が相互に影響しあい有機的に決まっていくので、いずれにしても誰もが納得する適正価格など存在しないのではないだろうか。
今回、普段直接的に価格を決定する立場でない人に価格を提示してもらうというかなり乱暴なことを私は行った。そうして見えてくるのは、今回依頼された協力者たちがとまどったように、重なり影響し合うとしても美術価値を動かすプレイヤーと価格価値(市場価値)を動かすプレイヤーは基本的には異なるということ。そして、市場に入っていくのであれば、作家と市場の間に誰かに立ってもらうのが適切であり、じゃあ、誰に? という話だ。これはあまりに当たり前な結論だろうか。少なくとも今の私に、そういう人はいない。ある意味、ただそれだけの話だ。いないのなら、自分自身で作品の美術価値、存在価値を守るために価格決定を利用するしかない。山ほどあるフリースペース、オルタナティブスペース、貸しギャラリーで展示販売をしている作家が自らの作品にひとりで価格をつけるとき、やっているのはそういうことだ。
長々書いたが、金輪際こんなことはしたくない。
消え去る絵にも価値があることを私は知っているので、明日もえがきをキャッチするほかない。

2017/11/12 高田マル

【制作年】2017年
【素材】作品(高田マル《上書き保存》紙、アクリル絵具 2017)
高田マル《上書き保存》紙、アクリル絵具 2017
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